ナショナル ロッキンローラー EP525


 今回は、旧ナショナル(松下電器)、現パナソニック社製の、1985年に発売されたマッサージチェアです。

 現在、この品は、当方が出入りするある業者さんの事務所に鎮座ましましており…

 まぁ、部屋にあるガラクタではない、そして、当方にさしたる情報が書き込める訳ではないのですが、今回は頭の中のガラクタ(記憶)を整理するということで、タラタラと記して参りたいと思います。





 この品を手に入れたのは、発売された翌年辺り、つまり1986年だったと記憶します。

 当時、未だ大学生だった当方ですが、ヒョンなことから広告関係の雑文を書く仕事を仰せ遣うことになり…

 最初は、ろくに単位も取れてないのに卒業後の就職を考えてアレコレとアルバイトをしていた同期の友人に頼まれて、広告代理店が発行する、いわゆるイエローページのような広告付きの電話帳に記された電話番号および住所の確認作業、これを5000円程度のギャラで請け負ったのです。

 仕事は、とにかく載せられるだけ載せられたお店や施設の電話番号に電話し、先述したように電話番号や住所など連絡先が間違っていないかどうかの確認だけという、非常に退屈な仕事でしたので、そこで、何となく、その電話帳の沢山の広告に記されている数々のコピーが気になったものですから、いちいち校正したり、「オレだったらこう書くけどなぁ」などと余計なことをして…

 今はどうだか知りませんが、当時、そういった広告代理店の発行するロハ(タダ)の電話帳に載せられる広告に付けられたコピーの多くは、素人が書いていたんですね。
 例えば、子育てに忙しくてフルタイムで出社できない主婦などが、パートやアルバイトで、時に在宅で行っていた。

 そんな具合ですから、最低限、誤字はないものの、助詞が間違っていたりして日本語になっていないものも多く…

 といっても、当方だって素人だったのですが。

 ところが、書き込みで汚しつつ確認作業を終えて返した電話帳、これが担当者の目に付いて、仕事を頂くようになってしまい、コピーだけでなく、雑誌の広告ページに掲載する記事を書いたりするまでになってしまった。


 時代は「コピーライター」などという横文字職業がもてはやされたバブル経済の最中、大金が行ったり来たりするにも関わらず…

 イー加減な世の中だったなぁと思います。(苦笑)


 そんな中で、ある家電量販店の紹介記事を書くことになり、代理店に指定された大型店舗に、取材用のノートに小型レコーダー、カメラを抱えて向かいました。

 そして、店長さんにお店の特徴など聞きながら店内を歩き回ったり、売れ筋商品、または新製品などを弄らせてもらったりしたのですが…

 今は余り見かけないように思いますが、つい最近まで、大型家電量販店の「憩いの場」といえば、マッサージチェアの売り場でした。
 ご記憶にある方もいらっしゃると思いますが、買い物を奥さんや子供に任せた中高年男性、または時間は有り余りるほどあるのにお金と行くところがないご老人が、買う気にもないのにいつまでもダラダラとしていたものです。

 当方が出向いた店舗もその例に違わなかったのですが、そんな中でポツリと、座椅子タイプだけに座ったり立ち上がったりするのに厄介ということもあってか、誰にも試されることなく片隅にあったのが、今回の品という訳です。

 うたかたとはいえ好景気の世の中、ディスコに出向いてはボディコンシャスのピッチピチのワンピースを身体に纏ってはフェイクの羽をまとめた扇子をヒラヒラさせて踊り狂うお方が多くいらっしゃった一方で、雇用均等法を鑑み、遊びと恋愛を二の次としてスマートに人生をクリエイトせんと仕事を終えた後も専門学校などに行って資格取得などに励んではキャリアウーマンを目指したお方も多く出た時代、そこでこの品は、オフタイムに疲れを取りつつゆっくりと過ごしたいと考える若い女性層を狙ったオシャレ家電とのことでしたが…

 機能的には、仕込まれたローラーを上下、またはローラーを回転させて指圧的な動きをさせつつ上下するのを基本として、その上下する間隔を設定できるというだけ、マッサージチェアと捉えると簡易的な品ではありますが、マッサージ機能を備えたのロッキングする座椅子と考えると、今も使われるのか否か定かではありませんが、当時、既に「カウチポテト」という言葉は行き来しており、当方も、深夜に放送されているところを録画した古いハリウッド映画(アダルトビデオではありません)なんぞを見ながら、ソフトドリンクとポテトチップス、またはポプコーンなぞを飲み食いしながら過ごしていたものですから、「こりゃイイナ」と思ったものでした。

 しかし、取材に出てまで記事を作成するといっても、当方は駆け出しの身、ギャラも3万円に満たないものでしたので、定価5万6千円の品は…

 「どうして松下はベージュ色なんかにしたんでしょうね」

 普通は買えるだけのお金が溜まるまで我慢するものですが、欲しいとなると後先考えず買おうとしてしまい、ついでにケチをつけて値切ろうとするのは、江戸っ子と大阪モンのハーフ(?)の当方の悪い癖。

 「売れてますか?」
 「…いや、それが」
 「何で黒にしなかったんでしょうね」

 黒を基本とするモノトーンの商品が多く出回っていた時代でもありましたので、そこをいかにも業界通のフリをして畳み掛けるのですから、我ながらタチが悪い。そんな具合に、何様のつもりか、ずっと年上らしき店長さんを上から目線で質問する有様で、さぞや不愉快な思いをさせたと思いますが…

 今はどうだか知りませんが、松下製品というのは余り値引きされないことで有名で、その昔、三種の神器の1つとして花形商品であったカラーテレビの二重価格を消費者団体から批判された松下幸之助をして、目を真っ赤にして「人の敷地に土足で入ってきおって」などと正体を露に怒ったという逸話もあったほど。

 さりとて、電気店の店長さん、その立場上、売れない品物をいつまでも店に放っておくのは拙いということで…

 「では…」

 と、当方の耳元でゴニョゴニョ。

 画して、世間は消費税(売上税)云々で騒がしかった当時ですが、驚くほどではないものの、また取材で得たギャラと収支すれば赤字だったとはいえ、それなりにお安く手に入れた、その後の松下電器の凋落を象徴するかのようなダサいネーミングの「ロッキンローラー」でしたが…

 不思議なもので当方のほうは、店舗紹介記事が今度は電気店の本部の担当者さんの目につき、放送CMの企画に関わるようにもなってしまい、ゆっくりと映画(クドいですがアダルドビデオでは決してありません!!)も見てられなくなってしまう事態を迎えるのですから、ホント、ツクヅク、バブル経済の時代というのは、イー加減なものでした。


 そして、30年近い月日を経て、ある業者さんの事務所に現存するロッキンローラーなのですが、当初は、その業者に当方と同じく出入りする60過ぎのオッサンに差し上げたのです。

 部屋のガラクタ、お荷物千万とはいえ、ろくに使っておらずまだまだ使えるものを処分するのは勿体無い、それなら必要としている方に役に立てば、万物に神宿る精神を持つ日本人による日本製品も幸せだろうと。
 加えて、オッサンは早期退職したとはいえ元松下社員だったとのことで、不思議な縁もあるような気がしたもので…

 ところが、オッサン、そのロッキンローラーをば松下幸之助譲りの親孝行精神をもってして横に流して御父君に与えたところ、御父君が高齢もあってペースメーカーを着けねばならなくなってしまってマッサージ機などが厳禁となる事態に、そこで引き上げたものの、オッサンの自宅には置いておくスペースがなく…

 何やらマッサージ機も居場所を探してウロウロ、改めてリストラされた方々が右往左往する今の時代を象徴するかのようで甚だ複雑な思いもさせられます。

 現在、ロッキンローラーは、バツイチの巨乳好きでヘルニア持ち、何かというと力ずくで仕事を片付けようとするクロマニヨン人さながらの人物を日々、癒している様子で、ま、それなりに充分に役に立っているようではありますが…

 果て、疲れた若い女性向きに作ったものが、胸の大きな若い女性好きに愛用されることになろうとは、開発者も想像だにしていなかったろうと思います。

 因みに、ロッキンローラーは、現パナソニックの滋賀彦根工場にあるウェルネス事業部の、歴代のマッサージ機を陳列するスペースにも置いてあるそうです。

 そのスペースの名は、「モミモミ歴品館」。

 …モミモミ、ねぇ。

 胸の大きな若い女性好きに愛用されることになるのも仕方ないような気がするのは当方だけでしょうか。



パイロット エリートS


 今回の品は、当方にとっては"現役"の万年筆です。

 昭和という時代に生まれ育ってテレビが大好き、それこそついこの前のアナログ放送が終了されるという騒ぎがあった時には世界が終わるのではないかというぐらいの不安感に襲われて慌てて電気店に走った方には、ヒッジョー(非常)に懐かしいと思われる、「はっぱふみふみ」の例のヤツであります。




 大橋巨泉なる往年の放送作家兼タレントによる「みじかびの、きゃぷりきとれば、すぎちょびれ、すぎかきすらの、はっぱふみふみ」なるアドリブの意味不明のコピーを用いたCM放送が話題になったのは1969年のこと、さりとて、当方は生まれていたものの未だ幼児の頃、よってその記憶は全くありません。

 当方にとって大橋巨泉といえば、日本テレビが深夜に垂れ流していた大人向けのエッチな番組「11PM」の司会で…

 話が下世話な方向に逸れそうなので元に戻しますが、ともかく、今回、この記事を書くためにちょいと調べてみると、このエリートという万年筆、競合メーカーとのシェア争いに業績を落としていたパイロットにとって、先述のCMの話題性もあって、起死回生のモデルとなったとのことです。

 エリートSの販売価格は、1969年当時の18Kのペン先が奢られたもので2000円、そして、当方のものと該当する、14Kのペン先が主となる二代目が輩出された1977年頃で3000円だったとのこと。

 当方のエリートSのペン先には、14K-585、PILOT、そして細字タイプであることを示す<F>との刻印がされ、根元の近くにH677ともありますので、俗説に従えば、1977年6月平塚工場製ということになります。
 因みに、エリートSの"S"はショートを意味して、ロングモデルもあり、こちらは1977年当時で5000円したとのことです。

 さて、当方のエリートは、中学生の頃に親に買ってもらったもので、入学祝などの類ではなく、確か習字の時間に万年筆による文字の書き方を習うことになったか何かで急遽、必要になり、母の旧知の文房具屋さんに、母とともに出掛けて、手に入れることになったものです。

 「友達親子」なんて言葉はいつ頃から言われるようになったのか当方は寡聞にして定かではありませんが、昭和の男の子といえば、思春期ともなると必ず親に反発するもので、それこそ一緒に買い物に出るなんて以ての外。

 しかし、中学生といえどもやはり稼ぎのない小遣いを貰って生きている身、何か買い物する必要がある場合は必ず親からお金を貰わなければなりませんので仕方なく相談すると、「じゃ、買いにいこう」と…

 幾ら昭和の時代といえども、当方が中学生の頃には既に、例えばシャープペンシルなんてものもプラスチック技術の発展により廉価で、それこそ100円でも買えるようになり始めており、万年筆についても、今のように100円ショップでも買えるほどではないものの、セーラーあたりから1000円程度のものが輩出されていて、当方としてはそれが買える程度の小遣いを頂ければ有難がったですが…

 「そんなものすぐにダメになるんだから」

 母は頑としてお金を出してくれようとしない。

 そういう訳で、何故かツッタカツッタカ軽快に闊歩する母の後ろをトボトボとついて歩いては、専門学校の教員をしていた母の教え子の家だという下町にある文具店に向かった訳です。

 そして、商店街の外れにあった小さな文具店に着いて、母が教え子である店主の娘さんと話し込むこと20分近くの時間、店内の片隅でボーッと立ち尽くして時間を潰すことの苦痛ときたら何とも言いがたく、その上で、いざ、万年筆を選ぶとなると、店主のオッサンに、「何かスポーツでもしてるのか」とか、「好きな女のコはもうできたか」とか、万年筆とは関係のない質問を矢継ぎ早にされて…

 ともかく、やっとのことで万年筆を選ぶとなると、店主のオッサン、手元にあったテキトーな万年筆とメモ紙を出して、「これに名前かなんか書いてごらん」といい、当方が名前を書いてメモ紙を渡すと、それをチラと見るだけで、「コレにしておきなさい」と即決。

 改めて考えると店主のオッサン、書いた文字を見て、筆圧やら書き癖などを判別、そこから相応しい万年筆を選び出すというのは、尊敬に値するなかなかの曲者なのであったわけですが、大人への反抗心と、女性の身体への興味(いや、これは万年筆と関係ないですね)に満ち溢れた思春期の少年にとってすれば、「そんなに簡単に出せるならスグに出せよ」ってなもので…

 お会計は母が教え子さんと話しこみながら済ませており、その間、当方は、お店の壁に何故だか貼り付けてあった、"あべ静江"という女性タレントのポスターを、ぼんやりと「この人、若いのか年食ってんだか判んねぇな」などと思いながら見ていたので、幾らで買ってもらったのか記憶にありません。
 ただ、「そんなのダメよ」、「いや、いいんですよ」。「そう、それじゃあ」なんてオバサンたち特有のグダグダな会話の後に母がお釣りを貰っていたことだけは覚えていますので、おそらく3000円の1割引ぐらいで売って貰ったのではないかと推測します。

 画してヒッジョー(しつこいですが、非常)に胸糞悪い思いをして手に入れたのパイロットのエリートSでしたが、授業で一回か二回、使ったものの、それ以外では使用すること無く、暫く机の引き出しにしまったまま放置することになりました。

 基本的に、とりあえず黒板に書かれているものを写すノートには鉛筆もしくは安物のシャープペンシルを用い、授業が終わればクラブ活動に汗を掻き、帰宅すれば夕食を食い、その後は暫くテレビを見たり見なかったり、そして、深夜になれば明け方まで放送されるラジオ番組を聴き、いつの間にか眠っていたかと思うと目覚まし時計に叩き起こされて、ボーッとした状態で朝飯を食べては制服に着替えてフラフラと学校に向かう…

 そんなパターンの生活を繰り返す毎日ですから、万年筆など使う機会がないのです。

 そんなエリートSを再び手にし、今に至って使い続けることなるきっかけは高校生の頃になってからのことになりますが、その話は古いレコードと関係してきますので、いずれまたの機会に…。



黒電話 600-A2


 …何でこんなモノをいつまでも持っているのか。

 散乱するガラクタをホジくり回していると、整理の下手クソな自分の責任ながらそう思わされることが多々ありますが、今回の"ブツ"もその1つ。





 黒電話の歴史やウンチクはググれば現れるウィキペディアなどに任せるとして(イー加減ですが)、当方のところにある600型は、200ppsの交換機に対応、ダイヤルの戻り回転が速いA2型で、裏蓋を見てみると「78」とも刻印されていますので、おそらく1978年製造のものなのでしょう。

 果て、どうしてこんなものが、と、ツラツラと輪郭オボロな記憶を辿ってみると…

 1991年か92年、時代は既に、未だ無線機のような無骨な形をしていたとはいえ本来的に携帯できる携帯電話が登場していた頃だっだと思いますが、「伝わればいいじゃない」などと通信というものにトコトン無頓着極まりない両親がようやくFAX付きの電話機を実家に備えたいと相談してきたところで、NTTに800円(!!)も払って買ってしまったのでした。

 まぁ、実家住まいをしていた頃には、夜中や両親のお出掛け中に、友人や当時お付き合いしてくれていた女性などとコソコソとお話などしていた思い出もあって、処分されるとなったその時は、受話器の握り具合、ダイアルを回す感覚が、妙に懐かしくも愛おしく感じられたのでしょうねぇ。


 今また思い出してきましたが、NTTに電話した時に対応に出た女性職員、電話機を買い取るとの旨を伝えた途端からずっと半笑いの声で応答していたものです。

 当時は黒電話を買い取ろうという者など珍しいので可笑しいのだろうと思っていましたが…

 現在、オークションサイトで数々、売られていたり、動画サイトでその動作が沢山、紹介されているのを鑑みますと、意外に黒電話を買い取った方は多かったようで、もしかしたら件の女性職員は「コイツもか」と考えて笑っていたのかもしれません。

 更に鮮明に思い出すに、いやはや、誠に声の綺麗な方でした。


 …果たしてそのご尊顔が窺われなかったことが良かったのか悪かったのかは、別として。




ギブソン ES-335


 独り住まいの我が家はガラクタで一杯です。
 古い3Kの庭付きの平屋ですが、3つの部屋のうち2つは荷物で一杯になっています。

 とりあえず目に付くところから挙げますと、往年のラップトップ型の日本語ワープロ3機、初期マッキントッシュを始めとしてWinモデルを加えたパソコンがデスクトップ4台にノートが2台、オーディオ機器は親が使っていたものと当方が中学生の頃に買ってもらったセットに唆されるままに手に入れた中古やジャンク品のレコードプレーヤー3台にアンプ5台、そして自分で買ったものと亡くなった先輩の遺品として頂いたLPレコード3千枚強、CDやDVDが250枚以上が入った段ボール箱が並べられており、そして、カメラ(当然の如くフィルム)が入った防湿庫3つだ、ただただ面白そうだからと無駄遣いで買ってしまってスペースばがり取るアイデアグッズだ、そして、そして、その他…

 今回は最初の投稿ですから、売ればお金になりそうなものを挙げてみますか。(笑)





 ギブソンのES-335です。
 高名なギタリストおよびミュージシャンも敬愛してやまないことで有名な名器の1つでありますが…

 手に入れた二十数年前は、確かに名器は名器、かのラリー・カールトンが愛用していることで当方も知っており、価格的にも決して安くないものでしたが、当時は一般的な人気となるとイマイチ。
 やはりエレキギターといえば、王道のストラトタイプ、またはメタルを弾けば引き立つフライングVタイプが、ナウい時代(苦笑)。
 そこで、クラシカルなフォルムのボディにfホールまで開けられたセミアコとなると…

 はて、どういう経緯で手に入れたんだっけ。

 そうそう、十代の頃に無理矢理、バンドに参加させられた時の仲間が、知人がちょっとしたライブもできるレストランを開業するとのことで、そのオープニングイベントで「アンタ、ちょっとギター弾いて」ということで…

 「オレ、もうギター持ってないよ」
 「じゃ、買ってきてよ」
 「えぇーぇ」
 「ガットギターがいいわね。アタシが歌うから、タック&パティ風(当時、シンディ・ローパーの"タイム・アフター・タイム"のカバーで有名だった)にやりましょうよ」
 「無理」
 「アンタの演奏には最初から期待してないわよ。だからお得意のボトルネックで誤魔化しゃいいじゃない、ブルース版てところで」
 「ナイロン弦でスライド?」
 「何言ってんの、意外にオツな音が出るのよ」
 「でも、音量が」 
 「ピックアップ使うのよ、何よりガット弦なら、アレが回避できるかもしれないでしょ」

 確かに当方のフォアローゼス(ジムビームのほうが格好が良かったのですが、当方の指がちと太かったので)のボトルのネックを用いたスライドギターは、高校生の頃、同じくバンドをやる者たちの間でちょいと有名になったものでした。
 但し、それは、ブルースを弾いているのに、何故だかハワイアンに聞こえるということで、バッキー●●(バッキーはハワイアン音楽で高名なバッキー白方から、●●は当方の苗字)などという有難いのか有難くないのか判らないアダ名までつけられたもので、その"アレ"がナイロン弦なら回避できるのではないかということだったのですが…

 果たして、旧知の中古楽器屋にトボトボと向かったところで、出会ったのが、335でした。
 <…これならボトルネックで使えるなぁ>
 値札に25万円と記されているところを粘って20万円にしてもらい、ガットギターを買うのに用意していた5万円を頭金として残りは旧知に免じて後払いということにして意気揚々と店を出たものでした。

 そして、忘れかけていた指の感覚を蘇らさんと埃を被っては焼けて色の変わった教本を既に溜まっていたガラクタの間からホジくり引っ張り出しては、二週間ほど練習したものでしたが…

 果たしてライブ・レストランでのオープニングイベントでも往年のバッキー●●は健在、"アレ"は"アレ"のままでした。

 それから335は…
 たまにケースから出して磨いたり、虫干ししたりはしてますが。

 ま、つまるところ「宝の持ち腐れ」としか言いようがないですねぇ。
 


はじめに

 このブログは、いわゆる愚図の大忙しで何事も片付けるに時間が掛かって仕方のない性分、にもかかわらず何かしらちょいとでも興味を覚える物事があると勢いと思い込みで飛びついてしまうタチ、そんな面倒で厄介な人物による、近頃甚だ記憶力と判断力の鈍った頭の中、反射的に保存した画像などで一杯の愛用のパソコンの中、そして、住まう些か古い平屋の一軒家の中などに散乱する、多量の"ガラクタ"の確認と整理をテーマとするものです。

 果たして面倒で厄介な人物によるものだけに無軌道極まりなく展開されるであろうことは予想するに容易、加えて他人様から窺えば極めてクダラない話も投稿されることシバシバでありますでしょうが、そのあたりはご了承を。

 尚、ブログタイトルの「こじれたコンパネ」とは、その昔、知人のフランス人が失恋してシコタマ飲んだくれることになった折にブツブツと呟いていた言葉からきています。
 Quand j'rai t'acompagner、おそらく「お前さんと一緒のときは…」などと言い掛けていたと察するものの、酔った彼は次の言葉が出ずに繰り返すばかり、それが日本人には「こじれたコンパネ(コンクリート打設の型枠に用いる合板)」としか聞こえず、思わず「こじれてたら使えないなぁ」と、コチラも酔った頭で応えていたもので…

 まぁ、そんな感じのブログです。

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